菅義偉『政治家の覚悟』(文春新書版)と刊行元・文藝春秋への抗議(2020/10/20)

 以下、菅義偉『政治家の覚悟』(文春新書版)とその刊行元である文藝春秋への抗議です。シンプルに言って、絶対に許される行為ではないです。

 信じられないので3つもリンクを貼ってしまいました。何度でも言いますが、ありえないです。出版社として。つまり、メディアとして。ということで、まずは文藝春秋への要求を述べます。

1. 公文書管理に関する記述が削除された新書版『政治家の覚悟』を絶版、ただちに市中在庫は回収してください。その後、初版にて削除されていた該当箇所を復刻、改訂版として刊行し直してください。

2. 1が不可能な場合、親本の『官僚を動かせ 政治家の覚悟』(文藝春秋/2012年刊行)を重版し、国民が定価で容易に手に入れられる状態にしてください。

3. 同時に、今回『政治家の覚悟』を新書版として刊行するにあたり、なぜ公文書管理に関する記述を削除することになったのか、あるいは、なぜ削除することを認めたのか、その理由を説明してください。

 上記要求の2つ、「1と3」あるいは「2と3」が満たされないうちは、僕が運営する本屋lighthouseでは文藝春秋より刊行された本を扱いません。本日2020年10月20日以降、新規入荷はありません。現時点で既に仕入れてしまっている本に関しては、店頭より一旦回収します。あるいはタダで投げ売ります。出版社=メディアとしての矜持のかけらも持たない会社の本を売って得るお金などありません。本屋=メディアとしての矜持があるので。

 以下、このような判断に至った理由を述べます。できるかぎりまとめようとは思いますが、自信はありません。頭に浮かんだままに書きます。

 まず第一に、今回の本に関しては、文藝春秋は「本を刊行する意味」を理解していません。理解していたらこのような蛮行はできないはずです。本を刊行する意味とは、すなわち「歴史に残すこと」です。あるいは、過去を保存すること、証を刻むことです。
 本、それがたとえ紙だろうと電子だろうと、本の形になるということは、すなわちそこに「何かが書かれた」ということは、それ=書かれたものが後世に残されるということです。逆に言えば、残す必要/意志があるから書くわけですし、あるいは残すために、刻みこむために、私たちは書くわけです。
 そしてなぜ私たちは過去=歴史を残さねばならないのか。過去=歴史は参照すべきものだからです。よりよい現在、よりよい未来を築くために、私たちは過去を振り返る。自分の過去を、他人の過去を、場所も時間も超えてその声や意志を聴きに行く。その循環があってこそ、今の私たちがいるわけですし、未来の私たちも存在することができるのでしょう。だから本には意味がある。私たちが行くべき道を、目指すべき方角を、指し示してくれるかもしれない存在が、本です。そこには無数の過去=参照物が記されている。そこから私たちは何を選び、何を選ばないのか、その判断をすることができる。そして私たちもまた自らのその選択(の繰り返し)を、書き残していく。そうやって歴史は積み重なり、今の今まで続いてきた。
 ならば、本は、そして本を刊行する存在は、その意味を理解していないといけない。十全に理解はしていなくても、その営みをとめてはならない。現在を生きる私たちと未来の「私たち」の参照点に、自分たちが関わった本がなる可能性を、常に忘れてはならないはずです。

 なぜ過去=歴史が重要なのかについても少し説明しておきます。なぜ参照物が必要なのか。なぜそれは改竄・抹消されてはならないのか。
 ジョージ・オーウェル『1984年』にその理由のすべてが書かれていると言っても過言ではないので、未読のかたはぜひ。既読のかたもこの機会に再読を。

 『1984年』においては「過去を守る=独裁を防ぐ」といった面が強調されていますが、今回はそことはまた別の角度からもひとこと。過去=歴史を大切に扱うことで私たちの社会が、人生が、よりよくなるというようなことを説明しようかと(つまり無碍にすれば社会・人生は腐敗するということ)。
 端的にいうと、過去=歴史が大切にされるべき理由は「PDCAを回すため」です。人生のPDCA、あるいは社会/歴史のPDCA。コロナを例に取りましょう。初期の対応はどうだったのか、何をどのようにどれだけやったらどうなったのか、その結果を受けてどうしたのか、それがもたらした結果は……というように、私たちは過去(となった私たちの振る舞い=Do)を振り返り、再度計画・調整し、行動し、振り返り、と繰り返していくことで問題を解決していきます。でも、そこに過去が残されていなかったら。つまり私たちの振る舞い、あるいは政府の対応の記録がなかったら。もしくは改竄されていたら。参照すべきデータが正確ではない/存在していなかったら。私たちは何を基準にして次のアクションを起こせばいいのでしょうか。正確ではない過去を基準にして振る舞った結果が、「正解」になる可能性はどれだけあるのでしょうか。もし万が一「正解」になったとして、そうなった理由を「正しく」理解できるのでしょうか、あるいはその「正解」を今後も再現することはできるのでしょうか。
 過去=歴史を無碍に扱うというのはそういうことです。たとえそうすることで独裁を完成・維持できたとしても、その独裁者もろとも「正解を導き出せない沼」に足を取られ続けることになる。その姿は今まさに私たちが見ている政権そのものではないでしょうか。自らの都合の良い過去=歴史だけを残していく(というより作り出していく)ことが、国民のみならず権力者自身をも不幸にしていくことは証明済みです。誰も得しない、幸福にならないことをなぜ続けるのか。

 ほかにも理由や例はたくさんありますが、長くなるのでやめにします(とりあえず『1984年』を読んでください。公文書改竄のみならず、蔓延るヘイトスピーチがなぜ危険なのか、逆に言えば独裁政権にとってなぜ有用なのかもよくわかります。なぜ彼らが税金を上げる=国民を貧乏にするのかも)。が、ここまで言えばもうわかると思います。公文書を改竄することの罪の重さが。

 そして「公文書管理の重要性」を述べた部分が削除されて刊行されることの危険性、あるいは無責任さも、理解できるはずです。菅は「公文書がきちんと管理されていること」が大切だということを知っている、あるいは知っていた、そしてそれを書き残した、つまりそのことは歴史に残された。そして彼はその後に自らそのルールを破った。そのことを、その罪の重さを彼は理解している、だから今回「改訂版」として刊行されるときにその記述を削除した。つまり過去=歴史を消した。その記述が過去=歴史に残っていることは自分にとって不都合だとわかっているから。
 そしてそれを文藝春秋は認めた。菅が保身のために過去=歴史を消すことを認めた。もっと言うならば、「過去=歴史を改竄/抹消してはならない」と本に書き残した、という過去=歴史を改竄/抹消することを認めたということになる。さらに言うならば、菅が「己(や身内)の保身のために過去=歴史=公文書を改竄/抹消した」ということの罪を理解していたにもかかわらず(いや、そうだからこそとも言えるが)、その過去=歴史を誤魔化すようなことをした、ということになる。出版社、すなわちメディア、すなわち「可能なかぎり正しく過去=歴史を残していくこと」を使命とする存在が、その使命に真っ向から反することをした、ということになる。

 今回、文藝春秋がしたこと(そうするのを認めたこと)は、要するにそういうことです。故に僕はこの出版社をまっとうなメディアとして認めることはできません。彼らがしたのは「菅が公文書の改竄に関わっていたこと」、「それを罪であると彼が認識していること」、「故にその罪を誤魔化すために(あるいは罪ではなくするために)過去の記述を削除すること」、これらを認めたということです。罪が何重にも重なっていて、もはやわけがわかりません。何から何までアウト、正しい振る舞いがひとつもありません。

 このままだと『政治家の覚悟』が『我が闘争』になってしまいます。いや、そうなればまだマシです。なぜなら『我が闘争』は後世においては正当な評価がされているからです。そしてなぜ後世において正当な評価がなされているのか、それももうわかると思います。それが「残されている」からです。ヒトラーにとって不都合な記述も含めて、過去=歴史として残されているからです。でも『政治家の覚悟』に関してはそれができるかどうかはわかりません。少なくともひとつ、「公文書管理の重要性について菅が語った部分」が削除されてしまったので。仮に100年後に残っている本がこの改訂版だけになった場合、未来の人間から菅はどのような評価を下されるのでしょうか。もちろん未来の人間は/も「公文書を改竄することが罪」だとわかってるはずなので、その事実だけでこの安倍政権からなるひとつの時代を「悪夢」と評価してくれるとは思いますが、菅がその重要性を自著で語っておきながらも実践しなかった、ということは知られないまま歴史の時空に消えていってしまうかもしれません。

 長くなったのでもう終わりにしますが、今回これを放っておいたらダメだと思います。特に出版関係者は。あり得ないですよ、これ。正直言って、「それを書いたことが事実として残される=反論される可能性を残している」ヘイト本を刊行するよりも醜悪で狡猾でダサい振る舞いです。「書かなかった」んだから。というか、「書いてあったのに消した」んだから。菅も、そして文藝春秋も、責任から逃げたってことです。あり得ないです。失望した、なんて言葉を使うにはもったいない、「失望」という言葉に対して失礼だと感じるくらい、最悪な気分です。

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