<書評>尾崎世界観『母影』(新潮社)

 ひとには「なる」瞬間がある。まさにそれを見せつけられる作品だった。

 尾崎世界観『母影』において、その「なる」瞬間を得た者は誰なのか。もちろん主人公はそのひとりなのだが、書き手自身もそうだったのではないか。きっと自分が「なる」瞬間を自覚できる人間は稀だろうから、ここに書き記しておこうと思う。ひとが「なる」瞬間を。

 ご存知のとおり、尾崎世界観はバンド・クリープハイプのフロントマンだ。一般的にはミュージシャンと認識されており、ゆえに今回に限らず常に彼の作品への評価には「ミュージシャン」あるいは「芸能人」というタグがつきまとう。『母影』については芥川賞候補にまでなってしまったわけだから、それらのタグ付きの「批判」は多く生まれるだろう。今回に限って言えば、直木賞候補にNEWS加藤シゲアキの『オルタネート』も挙がっているためなおさらだ。もちろん言うまでもないが尾崎も加藤も本気で書いてるわけだから、そういった「批判」には価値はない。ということで僕からも言っておく。そういう「タグ付きの」評価はもう不要だ。そういう批評家気取りは「息してるだけでうるさい」からどっかに行っててくれ。

 さて。わかるひとにはわかっただろうが、僕はクリープハイプのファンだ。だから肩入れするのだろう。そう言われるのも仕方がない。しかし、ならば受けて立とうではないか。あなたたちの<作法>つまり「ミュージシャン・尾崎世界観」のタグの付いた書評をあえて書いてやろうではないか。余計なお世話だよバーカ、という言葉はここでは飲み込んでおこう。

 クリープハイプの曲をよーく聴き込んでるひと(not YouTubeで毎日観てます)にはすぐにわかるだろうが、本作には至るところに「ぽさ」が出ている。言葉の遊びかた、あるいはダブルミーニングの数々。登場人物たちが発する「いっていい」にかかる数々の意味(たとえば『百八円の恋』での「いたい」)。「はなれたぶんだけつめる。つめたぶんだけはなれる」のような表裏一体的な表現(たとえば『手』での「本当に見えてるならあたしには教えてよ 本当が見えてるならあたしには隠してよ」)。まるでクリープハイプの曲を聴いているかのような文章、感情描写が続くのだ。ファンとしてはもうこれだけでオチてしまう。ノックアウトである。

 しかしこのような表現手法の巧みさは、この作品の本質ではない。あえて言えば、これらは「世界観」の部分であり、「祐介」のそれではない、ような気がするのだ。言い換えるならば、「クリープハイプ・尾崎世界観」であり、「作家・尾崎祐介」ではない、ということだ。もちろんそれを否定的に捉えることはない。彼はどちらにせよ「作り手」だからだ。

 少々まわり道をするが、バンド・クリープハイプの転機は『バンド』という曲にあると個人的には思っている。僕はこの曲を「尾崎世界観がはじめて真正面から自分のことを書いた曲」だと思っていて、ゆえにそれまでの「誰かのことを書いている」または「誰かの視点から書いている」ことが多かったクリープハイプの曲たちとは、どこか異質なものを感じたのだった。クリープハイプが熱狂的な人気を得たのはこの「誰か」を描くことに本質的な理由があり、つまりそのことが多くの「共感」を生み出していたからこその人気だったのかもしれない。しかし『バンド』にはそれがない。そこに書かれているのは尾崎世界観の物語でしかないのだ。ゆえにこの曲にはこれまでのような「共感」はない。

 ではなぜ尾崎世界観は『バンド』を書き、歌ったのだろうか。これは完全に推測でしかないが、「世界観」から「祐介」に戻る、あるいは「世界観」を内包しながら「祐介」になろうとしたのではないかと思っている。「共感」を武器に人気を得てきた尾崎世界観=クリープハイプが、それを捨てる覚悟をしたのではないか。皮肉から生まれた「世界観」という名前を、本気で捨てに出たのではないか。そして捨てることができたのだと思っている。もちろん見かけ上はまだ「世界観」だし、いまだって「共感できる」曲をたくさん作ってはいるけれど、少なくとも、彼の中で何かが変わった瞬間、何かを変えようとした瞬間だったのではないかと、僕は思っている。

 そして『バンド』が収録されたアルバムの発売は、「『尾崎祐介』が『尾崎世界観』になるまで」というキャッチコピーが打たれた半自伝的小説『祐介』の刊行時期と重なることにも注目しておきたい。「クリープハイプ・尾崎世界観」が「作家・尾崎世界観」になろうとしていた時期でもあったのかもしれない。内側ではもう「世界観」であることをやめた尾崎祐介が、自らを物語を通して描くことで何かを得ようとしていた、ということか。

 さて、「作家・尾崎世界観」というワードが出てきたところで冒頭に戻ってみよう。今回の『母影』でもそうだが、デビュー作『祐介』のときはさらに多かったであろう、「ミュージシャン/芸能人」タグ付きの批判的コメントだ。これは「尾崎祐介」が「尾崎世界観」になることでミュージシャンとしての道を切り開いたのとは逆に、今度は「尾崎世界観」が「尾崎祐介」になることで作家としての道を切り開いていく必要がある、ということの裏返しのようなものだと思っている。「尾崎世界観」という「ミュージシャン/芸能人」のタグがついた存在から、タグなしの存在へ、さらには「作家」というタグのつく存在へ、ということだ。そして『母影』はそれを成した証なのではないか、それゆえの芥川賞ノミネートなのではないか。それが僕の結論であるということを、「歌にして逃げてしまう前に」言っておく。

 ここでやっと本題に入るが、もう一度確認しておこう。「なる」のは書き手だけではなく、主人公も同様に「なる」ことを。このシンクロが肝である。

 彼女は冒頭で「書くより読む方が得意」だと言う。担任の先生から「物事を言葉以上の何かでとらえる豊かな想像力」を持っていると(皮肉まじりに)評価される彼女は、多くのことを「読んで」いる。母がカーテンの向こう側で何をしているのか、自分自身がどのように世間から見られているのか、そのような自分がどう振る舞えば不要な軋轢が生じないのか。しかし彼女は自分の「どこがこわれてるのかちゃんと言え」ない。自分も母に「直して」もらいたいし、直してもらいたい場所もわかっているのに、それがどこかを正確に=言葉で伝えることができない。読めるが書けない/言えない、たとえ言えても「急いで大人になろうとして」いるからか本当のことには触れられていない、そんなもどかしさとともに彼女は日々を過ごしている。

 そんな彼女はどこか、かつての「クリープハイプ以前・尾崎祐介」「クリープハイプ・尾崎世界観」を思わせる。抱えている感情はたくさんある。抑え切れないほどの自我もある。しかしそれをうまく表現/表出できないでいた「祐介」と、それを「共感」というオブラートに包む=世間/他者を読むことで表現/表出することができるようになった「世界観」。彼女の抱えるもどかしさは、そのままかつての作者が感じていたものと重なるのかもしれない。

 しかし彼女は「なる」のだ。「いつもは読んでばかりだけど、私はこのことを書くって決めた」と覚悟を決めた瞬間、彼女は「なった」のだ。いや、なろうとしているだけでまだなれてはいないだろう。何になろうとしているのかも、わかっていないはずだ。しかし彼女は受け入れたのだ。自分のこと、母のこと、自分たちを取り巻く世界のこと。そしてそれらを「書く」と決めた瞬間、彼女の何かが変わったことは確かだろう。それが何かはきっとまだわからないだろうし、すぐにうまく書ける=表現できるようになるわけでもないだろう。だけど彼女は「自分」のことを書く、その覚悟を決めたのだ。おそらく常に空気を読むことでどうにか息をしていたであろう彼女が、世の中の「ふつう」からは明らかに外れてしまっている自分たちのことを(そのことを認識しながら)書き、それを「交番の中のおまわりさん」に向けて発表する。

 これはそのまま、『バンド』を歌った頃の「ミュージシャン・尾崎世界観」や、『母影』を書いたことで「作家」となった現在の尾崎世界観と重ねて見ることができるだろう。そして同時に「作家・尾崎祐介」となる覚悟を持ったことをも表しているのかもしれない。何者でもなかったひとりの人間がミュージシャンになり、そして作家にもなろうとしている。尾崎祐介は尾崎世界観になり、そしてまた(世界観を内包しつつ)祐介になろうとしている。故に多くの「批評」が集まるのだろう。芥川賞の選考会で、有象無象のレビューサイトで。しかしそれは「なった」証であり、あるいは少なくとも「なろうとしている」者にのみ向けられる批評なのだから、作家・尾崎世界観/祐介には胸を張ってそれらを読んでほしいと思う。そしてまた書けばいい。歌えばいい。「いっていい」。あなたはいつでもすぐにミュージシャン/作家/世界観/祐介になる。


<お知らせ>

本屋lighthouseでは尾崎世界観『母影』(新潮社)の刊行を記念して、刊行日の2021年1月29日(金)より尾崎世界観フェアを開催します。


詳細は後日お知らせしますので、しばらくお待ちください。
君の髪が乾くまで、にはなんとか……。
とりあえずいまわかってることは

・この書評
・あとひとつ別の人が書いた書評
・尾崎さんと店主のちょっとしたおしゃべり
が掲載されるフリーペーパーが、当店で購入するとついてくる

ということです……。
ほかにもギャン上げなやつを用意してるので、楽しみにお待ちください。

『母影』のご予約も承っています(おひとりさま1冊まで)。ご希望の場合は下記メールアドレスまでご連絡ください。なお、ご予約殺到の場合は打ち切る場合もあります。ご了承ください。
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